アビーとブリトニー・ハンセルの信じられない物語
兄弟を持つということは、大変なことです。考えてもみてください。もし、あなたが、全てのことを兄弟と共有しなければいけない状況を。そう、体も。ミネソタに住んでいるアビーとブリトニー・ハンセルは、常に体の共有をしなくてはなりません。
しかし、二人は、繋がって産まれたにも関わらず、お互いに一個人として、姉妹一緒にいる人生を選びました。彼女たちの信じられない人生を読み進めていきましょう。
1990年誕生
1990年にミネソタ州の田舎で、双子は産まれました。母親は、妊娠のとても早い段階で双子が繋がっていることを知りました。もしくは、自分が妊娠しているのに気づく前から、その双子は繋がっていたのかもしれません。ハンセルの双子は、受精卵が、母親の子宮内で、分割するのに失敗したことが原因でした。外見上は、双子は、体全体を共有しているようですが、実際は、それぞれ心臓、肺、脊椎、胃、食道、胆嚢そして腎臓を持っています。そして、二人が共有しているのは、生殖器、肝臓、胸郭、腸、循環系です。腰から下のすべての臓器を、共有しています。また、生まれたときは、第三の腕がありましたが、誕生時に切除されました。
彼らは生き残りました
双子が産まれたその日に、医者は両親に、一晩を越すことですら難しいと言われました。しかし、幸運にも双子は命を取りとめ、身体的にも知能的にも、"予想"を遥かに超えて成長していきました。体の繋がった双子というのは、ただでさえとても珍しいケースです。それは、世界でも4万人に一人の割合と言われています。
しかも、アビーとブリトニーのように生存しているケースは、とても稀です。二人のように、体の繋がった双子が、一日を生存する確率は、わずか1%。ブリトニーとアビーの両親は、双子の体を離す選択も与えられました。しかし、二人を切り離す手術は、広範囲に渡り生き残る確率がほとんどないことを説明され、その決断には至りませんでした。
世界でも珍しい二頭体の双子とは
二頭体の双子というのは、一つの上半身を二つの頭が共有している状態です。多くのケースは、二つ目の頭は、完全に形成されることなく、片方もしくは両方が死産してしまいます。世界でも、二頭体の双子は、体の繋がった双子の中でも11%にしか過ぎません。
そして、その中でたったの3%の二頭体の双子が、生き抜き大人になったという報告があります。ブリトニーとアビーは、アメリカで、唯一生存している二頭体の双子です。同じようなケースは、イタリア、トルコで一組ずつに実在しています。
それぞれの免疫機能
二人は、多くの臓器を共有しているにも関わらず、アビーとブリトニーは、個人で免疫機能を持っています。その為、一人が健康でもう一方が、病気のこともあります。実際に、ブリトニーは、肺炎に二度かかったにも関わらず、アビーは一度もかかったことがないのです。
ふたりは、どちらかが病気の時だけ、”別々の体があれば・・”と思ったことがあるそうです。なぜなら、ブリトニーが病気になったときに、アビーは同じベットで、一日中家にいなければならず、とても退屈だったからです。それを聞いたブリトニーは、とてもガッカリして、アビーがもう2度と離れないと約束するまで、大泣きしたそうです。
何にでもめげない二人
二人は、体の多くを共有しているので、何をするにも一緒にやらなければいけません。しかし、一緒にたくさん練習することにより、何にでも挑戦することが可能なのです。二人は運動神経がとても良く、それぞれ一つの腕を使って、ピアノを弾いたり、ボーリングや水泳などに取り組みます。
体の右側にいるアビーは、体の左側の感覚が全くなく、左側にいるブリトニーは、右側の感覚がありません。アビーが、右腕と右足を操ることができるのに対して、ブリトニーは、左腕と左足を使うことができます。力を合わせることで、二人はなんでもできるのです。
体は共有、でも性格は違います
体は共有していても、二人は別々の人間で、異なる性格を持っています。アビーが、ピンクや女の子っぽい服や靴が好きのに対して、ブリトニーは、ボーイッシュです。二人は、それぞれ違った髪型や髪の色、そして違ったネックレスを好みます。そのため、双子は、一日ごとに自分の着たい服や恰好を交代で選んでいます。お互いハッピーで、そしてユニークでる為です。
ちゃんと育てられました
アビーとブリトニーの両親も、体の制限はあっても自分自身を大切にしなさいと、教えてきました。母親であるパティ―は、"うちの娘たちが、他の子に、頭二つあるのと聞かれたら、もちろん無いよ。一人に一つの頭だよと答えるの。
私たちは、いつもそう娘たちに教えてきました。彼女たちに、できる限り一個人として生きてほしかったのです"と述べています。ブリトニーとアビーの両親は、子供たちをひとりひとりの個人として育ててきました。ひとりが、悪いことをして叱られたときは、その子だけを叱りました。当時は大変でしたが、そうすることで、彼女たちを一個人としてしっかり育てることができました。
カバーモデルに
双子は、6歳の時に、オプラ・ウインフレイのショーに出演しました、これが、双子にあたった初めてのスポットライトでした。その後、世界的にも有名になり、"一つの体に二つの魂"と付けられた生活雑誌の表紙にもなったのです。双子は、ディズニーチャンネル、TLC、そしてBBCなどのテレビの特別番組にも出演しました。2012年には、“アビーとブリトニー”というタイトルの自分自身のテレビ番組をTLCで放送されました。この番組は、双子の毎日の生活、友達、家族を撮影し、彼女たち存在を伝える番組として放映され、その年で一番人気のテレビ番組となりました。
ふたりにとって簡単なことが難しい
双子は、何をするにしても一緒に決めます。その日何を着るか、どんな髪型で、どんなメイクにするか、どこへ行くか、どうやってそこへ行くか、数えきれません。ふたりは、ただ朝起きて、自分のしたいことをするという行為ができません。ふたりは、お互いと話さなくてはいけません。ふたりとも、どちらかが動いて、物音を立てていると、よく眠れないと言っています。TLCの中で、ふたりとも、朝の身支度の大変さを語っていました。どちらも、十分な睡眠がとれないことや、朝、玄関から出るまでの大変さもあり、なかなか家を出るまでに時間がかかるからです。
別々だけど、一緒
ふたりは、性格が違うだけでなく、興味をもっていることも違います。アビーは、数学が好きなのに対し、ブリトニーは書くことが好きです。アビーは、おしゃべりが好きですが、ブリトニーは、物静かでのんびり屋。それでも二人は、共通して好きな事もあります。
バレーボールや、映画、自転車、楽器を弾くことは、二人の共通の趣味です。時には、意見が合わず、話し合いで妥協しなければいけない時もあります。「お互いが理解し合い、ハッピーになれる方法を見つけるようにしているわ!」とアビーは話します。
将来は不明
ブリトニーとアビーの将来は、今後どうなるかわかりません。体の繋がった双子の女性は、男性のケースよりも長く生き、より健康ではありますが、それでも合併症などの危険性があります。
ブリトニーとアビーの医者は、ふたりが24時間以上生きるとは思っていませんでした。しかし、脊椎の合併症を治すため、6回の手術をしてきました。今も尚、医者は、心臓の問題や他の合併症を起こすのではないか、と懸念しています。担当医は、”信じられない程強く、運命を味方にしている”と述べています。
ふたりとも考えることも同じ
双子は、身体的に同じ動きをするだけでなく、考え方も同じにする必要があります。2人がメールに返信するときは、個人ではなく、一人の人間して一緒に内容を考えます。彼女達は、お互いにあまり言葉を交わさなくても、もう一方がどう感じているのか分かるそうです。メールでの対応の際には、二人で一人の様に対応をしますが、それもふたりがお互いの感情をよく理解しているからです。これは、体の繋がった双子には、よく見られることだそうです。二人は親友の様に、"お互いの言いたいことを代わりに言ったりします。それは、お互いがどう感じて、何を言いたいか分かっているから出来るのです。お互いが、いつもお互いを笑顔にしてくれます。"と言っています。
他人に知ってもらいたいから
双子は、16歳になったときに、TLCに自分たちの日常生活を撮影することを許可しました。それは、他の人達にも自分たちのことを知ってもらって、理解してもらい、そして自分たちの社会的生活が少しでも、生きやすくなればと思い始めたのです。双子はテレビやメディアの注目を集めるのは好きではありませんが、このショーに出ることで、世間からの、偏見や先入観を少しでもなくせることができればと思っています。ふたりは、撮影の無い時には、カメラや写真家たちから離れるため、静かで快適なミネソタの農場へ行くことにしています。
プライバシーがほしいときも
双子は、かなり多くのテレビ番組などに出演してきましたが、最近は、スポットライトから逃れるために出演しなくなりました。双子の両親も、双子にとって、すこし公共の目から離れたほうがいいと思っていたのでした。二人は、ミネソタの田舎の農家で育ちました。そのため、彼女たちが今までさらし者になることはありませんでした。しかし、テレビに出演してから、人々は、彼女たちをみて、立ち止まって、ジロジロみてきたり、写真を撮ったりすることが多々あります。これは、あまり気持ちのいい状況とは言えません。アビーとブリトニーは、ちゃんと許可を取ってくれれば、写真の前でポージングもとります。
運転だってできる
双子は、16歳になったときに、運転免許の試験にも合格し、自分たちの行きたいところへ行くことがでるようになりました。二人は、運転免許のペーパーテストを二回受け、実技試験も二回ちゃんと受けたのです。二人の母親のパティ―は、"実の所、車の運転に関しては少し心配なの。もし、ふたりがスピード違反でとめられたりしたら。"と不安を述べています。もしそんなことがあったら、ふたりとも切符を切られるのでしょうか?それともアビーの右足が、アクセルにあるから、アビーが捕まるのでしょうか?うまく運転するために、アビーが運転席の右側をすべて担当し、ブリトニーは、左を担当します。
大学卒業
二人ともベセル大学の教育学部を卒業しました。もともとは、同じメジャーで、違う分野に進もうと考えていましたが、そうなると他のコースの講義も取る必要があるために断念しました。ふたりは、実家を出て、完全に自分たちだけで生活しています。"私たちは何でも自分たちでするように育てられました。"とふたりは述べています。ふたりは、何年もの間、医者、教師、メンターなど数多くの人達の期待を、大幅に超えて成果をあげてきました。二人は、お互いの長所を知っていて、どんな困難にぶち当たっても、乗り越えることができます。ふたりは、ただみんなのように普通に生活したいだけなのです。
世界旅行に
二人は、身体に問題があるからって、物怖じなどは決してしません。友達と一緒に世界旅行にだって行きました。ふたりは、チケットは一つですが、パスポートはそれぞれ必要です。2012年のTLCの特別番組で、ヨーロッパに友達と行きました。二人は、ごく普通の生活を今まで送ってくることができました。友達と遊びに行ったり、パーティーに行ったり、大学にも行って、親元も離れ、仕事にもつきました。彼女たちは、普通の女の子なのです。このTLCのオープニングで、"とても素晴らしいことは、私達はみんなと同じなんです。"と語りました。
いつもケーキは別々
ふたりは、いつも同じようなことをしていますが、食べ物に関して言えば、違います。ふたりは、それぞれ自分の胃を持っていて、違う食べ物に興味を示します。おなかがすくときも違います。毎年、ブリトニーとアビーの両親は、二人それぞれにバースデーケーキを作ります。しかし、ふたりは、ハンバーガーなどのように好きなものが同じときは、食事をシェアします。フォークとかナイフなど、お互いに手助けしないといけないので、面倒なことを防ぐために、一緒に食事をとったほうが都合がいいのです。
結婚の準備
ブリトニーもアビーもいずれは、結婚して、家族を持つことを真剣に考えています。まだ、二人の望む理想の人には出会っていませんが、ふたりの男性で、ありのままの二人を受け入れて、愛してくれる人を望んでいます。サイエンティストは、二人が、生殖器を共有してるため、これは非常に難しい問題だと考えています。しかし、ふたりは、この27年間の間、多くのことをを共有してきたわけで、これが、自分たちの目的を断念する理由になるとは考えていません。きっと二人は、この先、何か解決策を見つけるでしょう。
教師になりました
双子は、27歳になりました、現在、小学校で教師をしています。二人は一緒に働くのが好きです。ひとりが授業をしている時に、もうひとりが、生徒たちをみて、質問にも答えることができるからです。現在、ふたりは、すべての仕事を一緒にやっているので、給料は一人分です。でも、いずれは、二人分支給されることを望んでいます。"もう少し経験を積んでから、交渉しようと考えています。だって、私達は学位が二つあるんだし、違う方法で授業も教えることができるからです。ひとりが授業をして、もう一人が生徒を見て、質問に答えることができるからです。そういう点では、私達は、一人以上の仕事ができるんですから。"とブリトニーは述べています。
現在、一番年上の体の繋がった双子
メリーランド大学医学部によると、フェニックスニュータイムズの報告では、双子20万人の内一組は体の繋がった双子になると言われています。そして、そのうち40〜60%は、死産になり、また、35%は、産後一日でなくなると言われています。ロニーとドニー・ガリヨンにはその統計は当てはまりませんでした。彼らは、1951年の10月28日にオハイオのデイトンで胸骨から股間のあたりまで繋がった状態で生まれました。彼らのおかげで科学的な解剖学の貴重なデータが得られました。それでは、彼らの少し変わった人生を見てみましょう。彼らの話もきっと、あなたに衝撃を与えるでしょう。
ここから始まった
胸骨から股間のあたりまで繋がったロニーとドニー・ガリヨンは、帝王切開なしで産まれました。記録によると、1951年に産まれた後、母親は子育てを拒否し、父親であるウィ―ズリ―にすべての親権を委ねました。その後、ステップマザーのメアリーが世話をしました。子育て生活は決して簡単なものではなく、最初の2年間は、病院の往復生活でした。医師たちは、どうにかして、二人を引き離す方法を模索していました。しかし、ロニーとドニーが男性臓器を共有していることもあり、医師たちは、彼らをそのままにしておくことに決めました。
予想外の双子
この双子の出世話がとても興味深いのは、両親であったエリーンとウィ―ズリ―・ガリヨンは、自分たちの子供が、双子であることを全く予想していませんでした。出産の際、デニーの頭がまず出て、その後にロニーが足を先に産まれてきました。二人は、心臓と胃、腕と足をそれぞれもって生まれてきました。腰骨のあたりで繋がっていたせいで、お互い、顔と顔を常に突き合わせた恰好で過ごさなければなりませんでした。
見世物として
2人が、これからの人生を一緒に過ごすと決めてから、多くの決断をしました。それには、エンターテインメントの場で、二人を見世物にすることも含まれていました。ガリヨン氏は、自分の子供を見世物にするのにもちろん乗り気ではありませんでしたが、経済的な理由で、そうせざるを得ませんでした。双子は、行くところすべてで、なんの努力もなしに民衆の注目を集めました。そして、双子が4歳になると、父と一緒にカーニバルの見世物小屋で国中を回り始めたのです。
サーカスの余興
現在は、サーカスなどでの余興の場でこの様に披露するのは、タブーで侮辱的でありますが、その当時はそんなに珍しいことではありませんでした。60年代では、彼らの様な奇妙な特性を持った人間たちは、多くのアメリカカーニバルで、出演をしていました。彼らのような世間から受けいれ難い人達にとっては、安楽の場所だったのです。貴方は、ロニーとドニーが、どれほど生活するのに大変だったか想像出来るでしょうか。彼らは、若かったとは言え、この世界がおかしかいことは、きっとわかっていたでしょう。しかし、それが好きであろうが、なかろうがは、彼らにとっては関係なかったのです。
だれでもないという事
ロニーとドニーが学校へ行く年齢に達した時に、父親は学校へ行かせることに決めました。しかし、残念なことに、その計画はうまく行きませんでした。学校側が、その双子の容姿のせいで、他の生徒に悪影響が出ると判断し、拒否されたのです。カーニバルでは、そういったことは決してありませんでした。むしろ、双子は、ロックスターのように扱われていました。そして、その場所で、"世界一小さい男"であるリトルピートと、巨人のヨハンと友達になったのです。
家族を支える
双子の容姿のおかげで、家族は、かなりの金額を稼ぐことができました。ロニーとドニーは、単なるサーカスの団員ではなく、家族の中で一番の稼ぎ頭になっていたのでした。ふたりの両親は、9人もの子供がいましたが、双子が稼いで家族を養っていたのです。
"それが唯一の収入でした。そして、双子は一番の稼ぎ手だった。"、と一番下のジムは言いました。問題は、双子が、このビジネスを今後どれだけやっていけるかです。先ほども述べましたが、見世物小屋は、昔と比べて、現在ではあまり人気もありません。
見世物ショーはどこでもできる
すぐに、サーカスでの見世物は、アメリカでタブーとなっていきました、それは、ガリヨン一家にとっては大問題でした。結局、唯一の稼ぎ頭の収入がなくなり、家族は窮地に追いやられてしまいました。更に、1970年代の政治的な反発によって、アメリカでは、"奇妙な人間達"のライブパフォーマンスは、危険に晒されていったのです。それにより、ロニーとドニーは、ラテンアメリカへ行くしかありませんでした。それが、後のメキシコでのサーコ・ユニオンになったのです。
浮き沈み
ある方面では、有名になり、評価も受けましたが、公の場では、普通の容姿でないと、そうはいきません。学校から拒否を受けたことは、これからの試練の始まりにしかすぎませんでした。双子は、真夜中に嘲笑の言葉を放ったたくさんのいたずら電話を受けました。人々は、見世物小屋に行くのをやめて、ロニーとドニーに嘲笑の言葉を浴びせ始めたのです。それは、全てが彼らの容姿のせいで、彼らは生きているべきではないという内容でした。
安全性への恐怖
その後も、状況はどんどん悪くなっていきました。ロニーとドニーは、地元の当局へついに助けを求めたのです。そして、1991年に見世物小屋のビジネスから引退し、双子は、稼いだお金でオハイオのデイトンに家を購入しました。それでも、地元の子供たちは、家の窓にやって来ては、つばを吐いていきました。双子は恐怖を感じ始め、警察へ電話するようになりました。一番下の弟のジムによると、「警察はすべての学校へ、”この行為は悪質で、処罰の対象になり、告訴もあり得ること”を勧告してくれました」と述べています。
喧嘩をしあう
誰かとずっと顔を突き合わせて生活するのは、楽しいことばかりではありません。それが、双子の兄弟だとしても、苛立ちの原因になります。これは、ロニーとドニーの中でも喧嘩の原因となっていました。ふたりは、色々な事を妥協していましたが、それが、毎日毎日続くと、なかなか平静でいることも難しいのです。ふたりは、口喧嘩から暴力をふるう喧嘩になったこともあります。しかし、このあと医学的な理由もあり、衝突は少なくなって行くのですが。。
恐怖
ロニーとドニーの間には、度々確執が起こりました。しかし、血液希釈剤を使い始めてからすぐに、それはだんだんと少なくなっていきました。一度血液希釈剤を使用すると、物理的な喧嘩は、致命傷になることを知ったのです。そして、2009年、悲惨なことが起こったのです。ロニーがウイルス感染し、肺に血栓ができたのです。それはとてもひどい症状で、ドニーにも感染しました。そして、二人は免疫力が著しく落ちたので、入院生活を余儀なくされ、毎日のケアが必要になりました。
研究の対象に
1988年、J.デイビット・スミスは、「結合双子の心理学的プロファイル」という本を出版しました。その本は、かなり細かく行った双子へのテストについて述べられています。その中の一つとして、発見されたことがあります。それは、彼らは平均的なIQはあるものの、教育不足のために知能の遅れが見えました。それほど大した問題ではなかったものの、それ以外にも、ロニーとドニーは、癇癪を起すことがよくありました。これは、若い時によく起こしていて、喧嘩が悪化する原因でもでした。
怒りの結果
デイビット・スミスの本によると、"身体的に自分の兄弟と繋がっている状況は、十代の多感な時期には、あまりにきつすぎる"と述べられています。思春期と、この状況に置かれる状況は、かなりのストレスになるはずです。実際、怒りが頂点に達して一人が、足を怪我したこともあります。それは14歳の時に、ドニーが怒りのあまり、トレーラーを蹴って、足の骨を折ったこともあります。
ワールド・ニュー・ウィークリーにのる
ロニーとドニーは、本だけでなく、タブロイドの雑誌にも載ったことがあります。二人が仕事を失う前に、ワールド・ニュー・ウィ―クリーに焦点が当たり、「戦うガリオン」とういうタイトルで掲載されました。ワールド・ニュー・ウィ―クリーに関わった二人の口論により、そのニックネームがつきました。そこには、いつか一方が、もう一方を銃で撃ってしまうとのではないかと報じ、ライフルを持った彼らの写真を公開しました。それは冗談でしたが、皮肉にもその後、一方が相手の顔にあざを付けてしまったのです。
繋がっていることへのロジスティクス
二人が繋がっているという事で、おそらく、個人としての人生はどうなっているのかと思っている人もいるかもしれません。例えば、選挙権や機密保持などです。まず初めに、選挙権ですが、2人ともそれぞれ保有しており、機密保持番号もそれぞれ支給されています。また、ロニーとドニーは、ふたりともアメリカ国外に旅行するのが大好きです。ラッキーなことに、パスポートは一人分のみです。今後、状況は変わるかもしれませんが、今の所、大きな問題もなく、彼らも必要な援助を受けることができています。
まだ愛されていると感じます
もちろん双子の人生には、困難な状況もありましたが、ただそれだけではありません。時には、心の広い人が手助けもしてくれました。キリスト教の若者達が、双子が病院に退院された後に、彼ら兄弟の家を増築してくれました。そして、ふたりは、歳を重ねてきて当然、今までよりも更に援助が必要になってきました。これからの二人にとって、自分達の兄弟とそしてしの妻達と一緒に住むことが最善の選択なのです。
親切は至る所に
キリスト教の人達だけでなく、軍人の人達も、彼の家の増築を手助けしてくれました。また、他の多くの人達も同様でした。見知らぬ人達も、双子のことを理解してくれています。中には、彼らのレストランの費用を払ってくれる人もいました。前述しましたが、ロニーとドニーは、よくケンカをしていましたが、それでも、二人はお互いの最良の友なのです。この何年も、二人を切り離す手術のオファーがあったにもかかわらず、ふたりはそれを断っているのです。
増す痛みに耐えて
健康面で言うと、ロニーとドニーの人生は、いかに大変だったか想像することが可能でしょう。そしてその問題は、歳をとればとるほど深刻になってきます。最近では、より気をつける様にしています。散歩をするときも、必ず休憩を取るようにします。また、健康的な食事をとるように心掛け、食生活も変えています。これは、消化の問題であって、ひどいときには、双子は、数週間も入院しないといけないこともあるからです。双子の仲の良い友達の一人であるグレン・クワットがこう言っています。"ふたりの目標はいつも、一番長生きしている双子のシャムの様になることだ。"
一番が長生きしている繋がった双子
2014年の時点で、ロニーとドニーは、歴史上一番長生きしている繋がった双子と認定されました。その年、双子は、63歳になりました。前回の記録保持者が63歳で亡くなり、記録更新となりました。双子は、この栄誉を祝うために、ディズニーワールドへ行きました。その日は、ゴールデン・ナゲット・カフェへ朝食を取りに行き、スタッフからのハグとキスで迎えられました。そのカフェのオーナーは、"あの双子が大好きです。彼らは、普通の人が耐えられないような事を乗り越えてきました。彼らは、キングのようで、美しい人達です。"と話しました。