世界で初めて生き延びた7つ子の成長物語
7つ子の親になったボビーとケニー夫妻は、日々やらなければいけないことに追われてました。もちろん、1日に52個のオムツ交換をしなければいけないことや、42本ものミルクを毎日用意しなければいけないことなどは、想定内でした。
しかし、それ以外にもやることは山のようにありました。ただ、家族や近所の人たち、そして寛大な人達からの寄付を受けて、彼らは立派に7つ子を育てあげることに成功したのです。更に、幼児期を乗り切った後は、世界初の生き延びた7つ子として世間からも知られるようになるのです。果たしてこの家族の壮絶な人生とは?
ボビーは、問題を抱えていた
娘のマッケイラが1歳4ヶ月になった時、ケニーとボビー夫妻は、既に2人目の子供をつくろうとしていました。ボビーは、初産の時に合併症を患い、不妊治療を受けていたので、彼らは、これ以上時間を無駄にしたくはなかったのです。
キャサリン・ハウザー医師は、ボビーにメトロジンと呼ばれる薬を処方しました。この薬は、卵巣を刺激して、動きの悪い卵子に対して、受精の為の働きを活発に促すものです。治療は、初めての挑戦でうまくいきました。しかし、不妊治療の薬には、多胎児が生まれるリスクが含まれているのも事実でした。彼らはもう一人、子供を望んでいましたが、運命は彼らに7という数字を選ばせたのです。
ボビーの不妊治療は、7つの卵子を宿した
マッコギー夫妻は、6週間検診の為に、ハウザー医師のところへ超音波検査を受けに行きました。発育中の胎児の成長は全て良好に見えました。しかし、そんな中看護師がボビーのお腹に、ある異常を発見したのです。
この一瞬の出来事が、夫妻の人生を一変することになるとは、彼らはまだ思いもよりませんでした。医師は、ボビーのお腹の中に、一つではない命が宿っていることを発見したのです。ー そう、彼女のお腹には7つの命が宿っていました。
強い衝撃を受けた夫妻
ハウザー医師でさえ、自分の目を疑ったと言います。「衝撃と疑いの言葉が頭に浮かびました。そしてしばらくの間、この事実がきちんと頭の中で処理できずにいました。」と1977年のTIME誌にハウザー医師は、語っています。マッコギー夫妻は、この事実と同時に、多くの赤ちゃんを産むことに伴うリスクを背負うことになったのです。
もちろん、マッコギー夫妻も、複数のリスクを伴うことの想像はできていました。しかし、医師が次にいう言葉は、想像もしていなかったのです。
「選択して減らす」提案
多胎児出産 — 双子、三つ子、もしくはそれ以上の胎児の出産 — 多胎児出産には、無数のリスクと合併症が伴います。多胎児を期待している母親は、流産や死産に苦しむ危険があるのです。7つ子ともなれば、そのリスクが増幅することは明らかです。
医師は、多胎児出産の選択肢を次のように提案しました。それは、出産する子供を選別して減らすという方法でした。この方法は、健康状態が疑わしい胎児を見つけ出して、中絶するという意味を含みます。しかし、これにより、健康な胎児の生存率が上がるのです。この選択肢は、両親に道徳的ジレンマを引き起こしました。しかしながら、そんな中の、マッコギー夫妻の決断はとても簡単なものでした。
マッコギー夫妻の選択肢に、中絶はありませんでした
マッコギー夫妻は、浸礼協会の信者であったので、「選別し減らす方法」は、考えられませんでした。リスクが伴うにも関わらず、彼らは7人の胎児全てを見守り、残りは神に任せることにしたのです。ケニーは後のインタビューで、記者団たちに、「医師の提示したアイディアは、選択肢ではなかったわ。ただ、起こりうる結果を強く信じていたの。」と述べています。
それでもこの選択は、とても大きな賭けでもありました。多胎児の赤ちゃんは、ほとんどの場合、未熟児として生まれます。つまりは、たとえ出産に成功したとしても、7つ子は乳児期に死亡してしまう可能性が高いということなのです。更に、その多胎児が、乳児期を生き抜いたとしても、その後の成長過程でも、深刻な健康問題を抱えるリスクがあります。
人々は、世界資源の無駄遣いだと訴えました
マッコギー夫妻は、妊娠をこのまま進めるという選択について自信がありました。しかし、世間が皆、この意見に、必ずしも賛成だとは限りませんでした。彼らは、反対者がいる事実を知る前、周囲から脚光を浴びていました。だからこそ、見ず知らぬの人達の、突然の反対意見には、驚かされたのです。
「最初は、どんな時でも幸せでした。しかし、”子供を搾取し、世界資源をこの家族ために無駄にすることに、私は許さない”という1通の手紙をもらったことで、考えが少し揺らぎました。」とボビーはDateline誌に説明しています。
マッコギー夫妻を支援するための、寄付を募った
マッコギー夫妻は、アイオワ州の小さな町カーライルで、牧場付きの小さな家に住んでいました。ケニーは、自動車会社で経理として働き、ボビーは洋服の仕立て屋として自宅で働いていました。彼らの質素な生活は、7人の赤ちゃんが増える準備など、ほとんど出来ていませんでした。
幸いにも、カーライルの町全体は、マッコギー夫妻を応援していました。市長は、彼らが住む土地より、大きな土地を見つけることを約束しました。そして、地元の企業は、彼らの新しい家の電化製品を準備しました。更に、現金・オムツ・食料なども、周囲の寄付によって集まったのです。その上、アイオワ州では、7つの大学奨学金が子供達に約束されていました。
マッコギー夫妻にプレゼントされた、7つのベッドルームの家
マッコギー夫妻にとって、7つ子が生まれることは予想していませんでしたが、その事実は、だんだんと現実になってきました。夫婦は、2ベッドルームの家では、十分な広さが足りないと思っていました。しかし、ありがたいことに、the Clark Company(クラーク社)が、その夢を叶えてくれることになったのです。
1988年、クラーク社は7つのベッドルーム、そして5つのバスルームの家を、マッコギー夫妻に贈りました。5,500平方フィートのリビング、広い独立キッチン、そして大きなファミリールーム、それはこれから成長していく7つ子の家族にはぴったりの家でした。
ボビーの体は、限界まで押し上げられました
マッコギー夫妻は、すでに第一子であるマッケイラを妊娠した時に、辛い経験をしていたので、ボビーの妊娠は、彼ら自身もとても心配していました。 特に、1人ではなく7人の胎児を抱えているとなると尚更です。
妊娠中は、女性の人生の中でも特別で愛しい時期でもありますが、ボビーにとって、それは少し違っていました。彼女は、毎日の体の変化を、あまりにも早すぎるように感じていました。「とても怖かったわ。お腹のマークが、だんだんと高く、そして横に広がっていくのを見て、この状況があとどれだけ続くのかと思ったわ。」とNBCに伝えています。
彼女のお腹周りは、約1.4m近くにも及んだ
7人の赤ちゃんを抱えているのが、どんな気分なのか、私たちにとって、想像するのはかなり難しいことです。そして更に想像もできない自体が。なんとボビーが妊娠30週にかかった時、彼女のお腹は周囲約1.4mの大きさにもなっていたのです。それは、40週の平均的女性のお腹の2倍以上にもなります。
小柄なボビーにとってそれは背の高さと同じくらいありました。彼女は、NBCの取材に対して、自分のお腹が膝まで達していると伝えました。さぁ、いよいよ出産の時です!
ボビーは病院に運ばれた
7つ子の出産期日は、ゆっくりと、でも確実に近づいてきていました。ケニーとボビーも、子供達に会うのを楽しみにしていました。しかし、その日は40週を待たずに、突然やってきたのです。ボビーは、最初の妊娠7ヶ月は、比較的体調が良いと感じていましたが、彼女が30週を迎えるとその状況は変わってきたのです。
1997年11月19日、彼女の体は限界まできていました。彼女は、1時間おきに10回の陣痛が来始めていたので、そのまま病院に搬送されました。そして、医師は”白雪姫作戦”を開始したのです。
ボビーの早産対応チームの結成には、数ヶ月かかった
”白雪姫作戦”とは、ボビーの早産対応チームにつけられた名前でした。事前に選りすぐられた、66人からなるその医療チームの計画は、完成するまでに2ヶ月かかりました。
計画としては、次の通りです。それぞれの赤ちゃんが生まれると、新生児輸送看護師が、すぐさま隣接する手術室へ連れて行きます。そこでは、新生児の安定に最善を尽くすチームが待っており、検査を行う準備ができています。そして、新生児集中治療室に連れて行く前に、それぞれの心臓、酸素の状況、呼吸が分かるモニターの設置を行い、保育器に入れられるようになっています。手術が始まった途端、部屋は突然静かになりました。
6分間で7つ子全員が産まれる
赤ちゃんは、子宮の中でAからGまでラベルが付けられ、逆ピラミッドのような形で配置されていました。べイビーAは、ヘラクレスというニックネームが付けられました。しかし、もちろん、マッコギー夫妻は、既に名前を決めていました。
沈黙は、最初の赤ちゃんの泣き声で壊れました。彼は、ケニー・ロバート(ケニーJr.)という男の子でした。そして、次の6分の間に全員、連続して生まれました。それぞれ、アレキサス・メイ、ナタリー・スー、ケルシー・アン、ブランドン・ジェムーズ、ネイソン・ロイ、そしてジョエル・スティーブンと名付けられました。このニュースは、世界に大きな熱狂を巻き起こしました。そして、マッコギー夫妻は、驚く人物から電話を受けたのです。
ビル・クリントンから直接おめでとうの電話があった
1997年の11月19日の7つ子の誕生日は、世界的なニュースとなりました。クリントン大統領は、マッコギー夫妻に直接お祝いの言葉を伝えるために、電話をかけました。彼が伝えたことは、「この子供達全員を大学進学させる頃には、アメリカの大手企業を経営出来るくらいの能力が付いていることでしょう。あなたは、アメリカで最も良く組織化された管理監督者になれるだろう。」と言う言葉でした。
マッコギー夫妻の7つ子は、世界で2番目の生きて生まれた多胎児です。その年の初め、サウジアラビア人の女性が、7つ子を出産しましたが、不幸にも6人死亡してしまいました。
7つ子は、病院に3ヶ月以上入院した
7つ子は早産だったので、ケニーとボビーは長期入院になることを覚悟していました。彼らの赤ん坊は、病院に入院しなければならなかったので、夫婦は本当の”現実”の生活に向き合う前に、家に帰ることができました。
3ヶ月と10日経った頃、7つ子はついに家に帰る準備が整いました。一番生存率の低い最初の1ヶ月を7人全員が生き抜きました。そう、この7つ子は強い生命力を持っていたのです。
2人の赤ちゃんは、おそらく発達障害を持っていた
すぐに、マッコギー夫妻は2人の赤ちゃんの異変に気づきました。2番目と5番目の赤ちゃんであるアレキサスとネイソンは、脳性麻痺を発症していました。2歳になる前に、5人の赤ちゃんがハイハイを始めたのに対して、アレキサスとネイソンは、その成長過程に追いつくのに苦労していました。
ボビーは、当時のニューヨークポストの取材に対してこう語っています。「彼らが長期的にこの障害と戦わなくてはいけないとしても、私達には、それに対処できる強い力があります。」そうなのです、これは、7つ子の誕生後、マッコギー夫妻が対処しなければならない多くの試練のうちの、たった一つでしかなかったのです。
オムツは何個必要か?
一人の赤ちゃんを育てるのだって、かなりの試練です。その赤ちゃんを7人も育てあげるなんて、不可能に近いと思ってしまいます。マッコギー夫妻が、オムツ交換に悪戦苦闘していないといいのですが...
新生児は、最初の数ヶ月間に平均として、1日に10回オムツ替えを行う必要があります。 それを7人分と考えると、1日に70個のオムツが必要になります。オムツ戦争は、始まったばかりなのです。またこの7つ子は、1日に50本の哺乳瓶も必要でした。ケニーとボビーは、オムツの交換、ミルクやり、そして7人の子供あやす作業の繰り返しで、疲弊していました。
お財布に優しい予算設定
あなたが、マッコギー夫妻ほどの大きな家族を持っていたら、お財布に優しい予算設定をする以外、選択肢がないのは事実でしょう。家族を助けるために、地域からの寄付は、まだ受けていましたが、それでも物資の支給はだんだんと少なくなっていました。
ケニーとボビーは、8人の子供を養うために、出来るだけ予算を抑えることに集中しました。彼らは、低価格な食事内容を考え、食材もまとめ買いをするようにしました。お金を管理するスキルが磨かれたことで、両親は毎月300ドルまでの出費に抑えることが可能になりました。
家庭菜園は、子供達のお腹をいっぱいにしました
マッコギー夫妻は、食費を月300ドルまで抑えることに成功したが、夫婦は更にコストを抑えるために、物事を更に一歩進めました。
彼らが作った全ての食事は、「ビュッフェスタイル」で提供されました。この方法は、食事時間をより効率的に保つだけでなく、様々な食材を組み合わせて作ることが可能になりました。また、家には大きな裏庭があったので、そこで家庭菜園も始めました。可能な限り、自給自足の生活をすることで、最終的にコストを抑え、子供達のお腹を一杯にすることが可能になったのです。
35人ものボランティアがいました
ケニーとボビーは、素晴らしい両親でしたが、8人の子供を2人だけで育てるのは不可能です。ありがたいことに、彼らは自身のサポートチームを持っていました。7つ子が生まれてすぐに、両親はフルタイムで働くことが必要だと気付いたので、彼らはボランティアに助けを得ることにしました。 — その数なんと全部で35人!
ボランティアの人たちは、彼らのために用事を済ませることはもちろん、掃除や、赤ちゃんの入浴や、昼寝の寝かしつけまであらゆることを手助けしてくれました。
両親は、子供たちに「普通の生活」をさせたいと思っていました
マッコギー夫妻は、彼らの物語を世界と共有できることは嬉しかったけれど、生活の全てを世間に注目されるのは、あまりいい気持ちがしませんでした。タブロイド誌は、夫婦に独占取材として、数十万ドルを提供しました。そこには、本と映画の話がありました。
ケニーは、タイム誌に「有名番組は、世間の大きな見世物になる恐れがあります。これは、私達の家族です。見世物なんかではありません。」と述べました。30代で5つ子を出産し、3人の生き残った子供持つ母親からは、「多胎児出産を娯楽と混同してはいけません。」と言っています。
彼らは何人もの有名人に会った
ケニーとボビーは、子供達が必要以上に注目を浴びることは、良いと思ってませんでしたが、TimeやNewsweekなどの少数のメディには出演していました。クリントン大統領や、ジョージ・W・ブッシュの2人が公然と家族に声をかけたことを考えると、世間の目から離れるのは中々難しいものがあるとは思いますが・・それでも、マッコギー夫妻は、誰が自分達の人生を覗きこむことができるのか、誰に許可するのか、最善の判断を行うようにしました。
彼らが、インタビューを許可したうちの一人とは誰か?そう、オプラでした!7つ子の最初の誕生日の記念として、子供達と一緒に、オプラ・ウィンフリー・ショーに出演しました。
マッコギー夫妻は、結果的にスポットライトを浴びることになったが、それは彼らに予想外の訪問者を招くことにもなったのです。
見知らぬ人の奇妙なお願いに困惑することも
多くの場面で、マッコギー家族は、世間からの注目を避けることに成功していました。しかし、生き延びる7つ子のニュースは依然として、未承諾にも関わらず掲載されることもしばしばありました。
「近所の人たちは、私達のプライバシーを大切にしてくれました。それでも、見ず知らずの人が裏口から訪ねてきたり、子供抱っこさせてくれないかと頼まれたりすることはよくありました。」とボビーは答えます。このような出来事から、マッコギー夫婦が、プライバシーを大切にするのもわかるでしょう。彼らが再び新聞の見出しを飾るのは、これよりまた10年後のお話です。
世界初生き延びた7つ子となった
7つ子が成長にするに連れて、夫婦がインタビューに応じることは、子供達の誕生日の時に地方紙に答えるくらいになっていました。7人の赤ちゃんは、乳児期まで「普通の生活」の中、過ごしていきました。そうした配慮の中、子供達はすくすくと成長し、世界初の生き延びた7つ子になりました。
2007年の9月、彼らの10回目の誕生日にボビーは、デイトライン誌に次のように語っています。「なんていうのが正しいのかわからないけれど、今まで私生活を公にしてきていないにも関わらず、応援やサポートをしてくださった皆さんにありがとうと言いたいです。お礼ではないですが、私達の生活を少しだけご紹介しましょう。」
マッコギー夫婦は、彼らを礼儀正しい子供達に育て上げた
2007年のデイトライン誌のプロファイルを見た人々は、7人が普通の生活を送っていたことを知りました。ケニーは、ジャーナリストのアン・カリーに「私達は、今だに子供達にどのように礼儀正しくするのか教えている最中です。」と話しました。
「今、正に教えようとしていたトレーニングや、シェイプアップを、子供達を見たらもう既に出来ているんです。彼ら、自分たちで生きる力を身につけているのです。」とボビーは言いました。7人は、効率の学校に通い、別々のクラスに振り分けられました。そして、彼らは、常に集団行動をしていたにも関わらず、個性的に育っていたのです。しかし、両親が最も心配だったのは、第一子のマッケイラの扱いでした。
姉のマッケイラとの時間は大切に
7つ子が生まれた時、人々はマッケイラが取り残された気持ちにになるのではないかと心配していました。しかし、夫婦はそれが起こるのを防ぐために、全力を尽くしました。「マッケイラには、他の子供達と過ごすよりも、個人的に一緒に過ごす時間を増やし、多くことを一緒にやりました。」
7つ子が公立学校に通う中、マッケイラはボビーによる私立のホームスクールに通っていました。そして、それは家族全員のためにも、非常に必要な時間でありました。7つ子の姉であることについて、マッケイラは「私のお父さんとお母さんは、彼らのお世話のほとんどをやるわ。でも事実上、私は彼らの唯一のベビーシッターだから、私にはきちんと役割があるわ。」と話します。姉のマッケイラと両親は、特に脳性麻痺を患っているアレキサスとネイソンを支えるために、準備万端だったのです。
脳性麻痺は、アレキサスとネイソンの障害にはならなかった
脳性麻痺と診断されたのは、アレキサスとネイソンだけでした。ネイソンは、「痙攣性麻痺」により、筋肉が強張ってしまう病気でした。アレキサスは、「低張性四肢麻痺」によって筋肉が非常に弱くなっていました。
2007年にネイソンは、自分で歩く事ができるように手術を受け、理学療法も続けていました。一方のアレキサスは、ネイソンと同様の治療を受けるかまだ不明瞭でしたが、彼女は補強器具と歩行器力を借りて、歩く事ができました。しかしながら、決してネイソンとアレキサスの障害は、他の兄弟達の成長の妨げにはなりませんでした。そう彼らはすぐに、少年少女へと育っていくのです。
アレキサスは美の女王
アレキサスは、脳性麻痺と診断されましたが、だからと言って彼女から祝い事などを遠ざけるようなことはありませんでした。彼女が中学生の時、特別支援を必要とする子供達為の美人コンテストに参加しました。
2013年、彼女はその”Dreams Made True”というイベントに参加し、多く人から支持され、 ”Miss Teen Dreams Made True アワード” に輝きました。そのコンテストでは、特別な衣装を着て、みんなの前で、自分が持っている才能を披露したのです。
別々のクラス分け
多胎児は、間違いなく魅力的ではありますが、彼らを個別化せず、一つのグループとして簡単にまとめてしまう恐れもあります。ケニーとボビーは、できるだけ一人一人を個人として扱うように生活しました。
学校が始まった際、彼らは意図的に別々のクラスに分けられました。この方法によって、7人の子供は、それぞれ自分の子供を作り、個別に成長する事ができたのです。
2012年には、高校生活が開始
高校生活の始まりは、誰にとっても大きな節目ですが、特にマッコギー夫婦のような、危険を伴った出産を経験した人にとっては、より感慨深く感じます。乳児期を乗り越えることさえ、危ぶまれていたのですから・・しかし、2012年に彼らは故郷であるアイオワ州のカーライル高校で新生活を始めたのです。
この大事な日を迎える前日、彼らはお弁当をリュックサックに詰め、スクールバスに乗る準備を整えて眠りにつきました。
一緒にバンドに入って演奏する
彼らが高校生になる頃には、7つ子の個性がはっきりしているのは明らかでした。アレキサスは、普段勉強し、ブランドンはスポーツをして過ごしていました。しかし、彼らには長年に渡って共有してきた1つの趣味がある。 — そう、それは音楽。
彼らは全員、高校の最初の年に同じバンドに入り、フットボールの試合のために、他の学校へ行って演奏したりしました。
彼らには、彼らの趣味がある
前述した通り、彼らが生まれた時から、一人一人異なる才能や、性格を持っていたことは明らかでした。しかし、それは成長するにつれて、どんどんと明らかになっていきました。高校生になった今、友達や趣味が、はっきりしていたのです。
ケニーJr.は、お調子者の性格なのに対し、アレキサスは、とても真面目でした。ブランドンとケルシーは、相変わらずスポーツに夢中でした。彼ら全員が自己主張をしているこの間も尚、バンド以外に兄弟で一緒にしている事がありました。
7つ子はついに16歳に
2013年、マッコギー夫妻の7つ子は、16歳の誕生日を迎えました。北米では、スイート・シックスティーンと言って、成人ではありませんが、大人の階段を登る一歩として16歳の誕生日は盛大に祝われます。 また、運転免許が取得できる年でもあります。7つ子は、路上に出る準備はできていましたが、ケニーとボビーが7台もの車を買うことは不可能です。
その代わり、両親は子供達にアルバイトをすることを許可しました。そうです。彼らは自分の車を買うために一生懸命働かなければなりませんでした!
あっという間に18歳
2015年の「TODAY」 というテレビ番組で、7つ子は18歳の誕生日を祝うということで出演しました。世界は、ついにん世界初の7つ子の成長した姿が見られるようになったのです。
「時が過ぎるのは、早いですね。思い出や喜び、そして時に苦難。今日、今こうして私たちがここにいられるのは、とても特別なことです。」とボビーは番組内で語りました。高校生活も終盤に差し掛かった7つ子達は、特に悪さもせず、立派に成長していました。この後、高校卒業と同時に、彼ら7人はそれぞれ別々の道を歩んでいくことになるのです。
4人は、州外の大学へ進学
高校を卒業した同時に、兄弟はそれぞれ自分の道を歩み始めました。7人のうち、4人はミズーリ州のハンニバル・ラグランジュ大学から奨学金を受けていました。ケルシーは音楽、ナタリーは初等教育、ネイソンとジョエルは、コンピューターサイエンスをそれぞれ専攻しました。
彼らは少し緊張していましたが、大学に行けることをとても楽しみにしていました。「きっと今までと異なり、全てに違和感を感じると思います。しかし、慣れ親しんだ土地から外に出て、新しい人々に会うことは、私たちにとってとても価値のあることになると思います。」とケルシーがNBCニュースに答えました。また、2人は家の近くのカレッジ選びましたが、家の中で自分だけのスペースが、多く持てるようになったことを嬉しく思っていました。
それぞれの道を選択した事を嬉しく思う
ケニーJr.とアレキサスの2人は、自宅から近いコミュニティカレッジに通うことを選びました。そこでアレキサスは幼児教育を、ケニーJr.は建設・建築業を学ぶことにしました。
ケニーJr.は、NBCニュースに「私達は、それぞれが別々の道を選んで歩んで行くことを嬉しく思うよ。今まで見たく、みんなにはしょっちゅう会えないけれど、そんなに心配はしていないよ。おそらく、私だけでなく、みんなそう思ってるんじゃないかな?」と述べました。そして、最後の一人は、みんなと違うかなり危険な道を選択したのです。
7つ子のうち1人は、軍隊にに入隊
高校卒業後、1人だけは軍隊への入隊を選択しました。ブランドンは、アメリカ陸軍に入隊し、1人暮らしをすることになったのです。
「兄弟がいなくて、おそらく今までとは状況が変わってくると思う。でも、彼らと連絡を取れるようになってからは、それほど悪くもないよ。軍隊に入隊してから、自分が欲しいと思ったことは自分で手に入れる、他の人がやってくれると思うなという精神を学んだのはとても大きかったよ。」と彼は言いました。その時の両親は、悲しみよりも、いかに時が早く過ぎ去ったのかに圧倒されていましたが、後に"空の巣症候群"に悩まされることになるとは、思ってもいなかった。
マッケイラが結婚
マッケイラにとって、1977年に兄弟や姉妹が産まれて以来、決して普通の人生ではありませんでした。しかし、マッケイラはこの事を通して、皆から愛され、支えられ、個人として尊重される事を学びました。彼女は何年もの間、独自のマイルストーンを積み重ねて言っていたのです。
マッケイラは、コミュニティカレッジとアリゾナ州立の大学を卒業していました。そして、彼女は結婚し、その大事な日には、兄弟全員が彼女の周りを囲んでいたのでした。
7つ子は、両親の教育方針が大好きだった
7つ子であることは、いいことばかりではありませんでしたが、全てを通して、マッコギー夫妻の子供達は、両親の教育方針が大好きでした。彼らが無事に成長した今、今後もその方針を変えることはないと言っています。
「僕らは、決して一人にならない。」とケニーJrは語っています。「話をしたり、一緒に出かけたりする相手は、常にいる。そして、これがなによりも素敵なことです。」とケルシーは、兄に続いて言いました。「僕らの生活に最悪な部分なんてないんだ。」「私達は、それらを楽しんでいたわ。」と、他の兄弟たちも、次々に口にしました。
マッコギー夫婦は、次のステップへ
2018年になると、全ての子供達が家から独立しました。ボビーとケニーは、7つものベッドルームが空いたことから、サイズを縮小しようと考えていました。彼らの家は、好意から寄付されたものだったので、夫婦はその好意を返したいと決心しました。彼らは、若い母親に住宅と支援を提供する非営利団体「ルース・ハーバー」に家を売却しました。
「私たちの子供が巣立った今、どうやら新たな章を始めるのにふさわしいタイミングのようです。私たちは長い間、多くの人から、素敵な贈り物をいただき、恵まれて過ごしてきました。だからこそ、私たちの家を、困っている人への手助けとして使って欲しいのです。」とボビーは伝えたのでした。
イギリスのスコットランドの高地、ディンウォールに住んでいるブレット家は、13人家族です。(以前は12人)子供達は、毎日にように雪合戦のような喧嘩をし、トイレットペーパーを散らかします。そんな子供達の母・アレキサスは、週に49回もの洗濯に追われています。
今回、初めて産まれた女の子のキャメロンは、父のデイビッドとの間に産まれました。彼女には、既に10人もの兄弟がいたのです。キャンベル(17歳)、ハリソン(16歳)、コーリー(14歳)、ラクラン(11歳)、ブロディ(9歳)、ブラン(8歳)、ハンター(6歳)、マック(5歳)、ブレイク(3歳)、そしてロタガイド(2歳)です。
ただの腹痛ではなかった
アレキサスとデイビッドは、妊娠の兆候を全く知らないわけではなかったのに、それは突然クリスマスにやってきました。彼らは、クリスマスの休暇を楽しんでいましたが、家族一帯が、風邪に襲われたのです。季節的に、風邪が蔓延するのは普通のことですが、アレキサスは、何かがおかしいと思いました。
彼女は、他の皆よりも、体調不良が長引いていたのです。そこで、自宅で妊娠検査を試しました。そこには、11回目の妊娠が示されており、また今回も男の子を授かったのだろうと予想していました。
性別がわかるまで待てない
ブレット夫妻は、今までの妊娠に比べ、今回は何か少し違うと感じていました。 これは、母親の直感とでも呼ぶのでしょうか。そして、夫婦は、50マイル離れたところにあるモーレイのエルギンにある病院で性別検査を行いました。
そして、結果が届くと16歳の息子のハリソンに封筒を開けてもらいました。 アレキサスは、"とても緊張した”とこの時の心境を語っています。そして、その結果が、女の子だとわかったとき、家族一同は興奮し、そして緊張が高まりました。
性別発表パーティーは、うまくいかなかった
ブレット一家が、新しい赤ちゃん・キャメロンの妊娠を喜んでいる中、性別発表パーティーは、思った通りにはいきませんでした。海外の性別発表ホームビデオをインターネットで見たことがあるかもしれませんが、大体の場合、行き過ぎているか、どこかおかしいかのどちらかです。そこで、ブレット家はシンプルに、性別が書かれた風船を裏庭で放つことにしました。
アレキサスは、その性別発表パーティーの様子をSNSに投稿し、こう話しています。「息子が風船を放った瞬間、それはみるみるうちに、しぼんでしまったのです。なんていう悲劇でしょう!」幸い、その安い風船の失態が、アレキサスの妊娠に影響を及ぼすことはありませんでしたが。
イギリスに新たな記録を残した
キャメロンの誕生は、遺伝学的にも運的にも、この夫妻に大きな衝撃を与えました。また、アレキサスはほんの数年前、ロタガイドが生まれた時、イギリスで男の子を10人連続で産んだ女性として、週刊誌の見出しを飾っていました。
日本にも、大家族は多くいますが、10人連続で男の子を産んだ母親は、なかなかいないでしょう。少子化が、進む現代では、3人以上出産するのもなかなか珍しいことです。
彼らは何も頼ってなんかいません
ブレット夫妻は、政府の支援に依存しているとインターネット上で叩かれたことを、とあるインタビューで語りました。 アレクシスは、「一部の人々は、私たちが福利厚生に完全に頼りきっていると思っているが、決して私たちはそうではない。デイビッドは、良い仕事に就いている、つまりは、それだけ子供を養える能力があり、福利厚生を受ける資格さえも与えられない。」と言って、それらの噂をつぶしました。
デイビッドは列車の運転手として働き、アレキサスは非常勤のフィットネスインストラクターとして働いています。 彼女は、妊娠休暇を取っていますが、出産後は、すぐに仕事に戻ることを意識しています。
キャメロンは、男の子の名前ではないのか?
あなたが親になった瞬間、世間は急にあなたのことを品定めしてきます。なぜなら、しつけや教育方針に関しては、全ての人が子供時代に受けことを糧に意見し、自分に子供がいるのならば、余計その批評には、熱が入ります。アレキサスとデイビットは、とても困難なことに直面しました。
既に、多くの子供がいることについて、世間から疑問視されている彼らですが、その中でも、次に産まれる女の子に、キャメロンという男の子用の名前をつけるは、どうなのかという事も話題になりました。Facebookユーザーの一人は、次のようにコメントしていました。「15年間も女の子を望んでいた彼らに、待望の女の子が生まれた。なのに、男の子の名前をつけるなんて!」そんな事、他人からとやかく言われることではないですよね。
キャメロンの存在は、兄弟に大きな影響を与えた
多くの兄弟間では、両親に言いつけたり、尋ねることなく勝手に物を盗んだりしますが、キャメロンとその兄弟の場合は、違いました。 アレキサスとデイビッドは、子供たちが立派な兄の役目を果たせるよう、ステップアップすることを熱望していると記者団に語りました。
デイビッドは、「彼らは普段、キャメロンの周りでは、より良く思われるように振る舞い、彼女の昼寝中は、起こさないように静かにしていました。皆、彼女を抱っこし、ご飯をあげるのを手伝いたいのです。」 キャメロンは、この偉大な兄弟に囲まれ、心配することは何もないように思えますね。
困った習慣をまねしちゃう事も
もちろん、キャメロンの周りでは、どんなに良い子に振舞っていても、アレキサスのFacebookを覗いてみると、やはり彼らが男の子であることが再認識できます。彼らは、疑いなくいたずらっ子要素をそれぞれ発揮しています。
左の写真がロタガイド、右はブレイクです。お母さんは、困りながらも、満面の笑みを浮かべながらこの写真を撮影しました。この記事には、「男の子は、やっぱり男の子でしかないわ!」とコメントが添えられていました。
このトイレットペーパーの残骸を見てわかるように、トイレは格好の遊び場
お父さんとお母さんが心配しなくてはいけないのは、トイレの中だけではありません。浴室で起こるだろういたずらにも対処しなくてはいけません。アレキサスは、子供達のいたずらについて非常にオープンで、11人の子供がそれぞれ織りなす事件やいたずらにも、黙々と立ち向かっていきます。
ある日の事件には、アレキサスはこんなコメントを残しました。「たった数日で、3個のトイレットペーパーが姿を消しました。どうやらロタガイドが、今最も夢中になっているもののようです。」この写真をみる限り、彼が間違いなくそれに夢中なのがわかりますね!ブレットは、一体どれ程のトイレットペーパーを消費するのでしょうか?
予想もしていなかった"大家族になる”ということ
39歳のアレキサス、そして44歳のデイビッドは、自分たちが大家族になるなんて予想だにしていませんでした。彼女は、記者たちにも「大家族になるつもりなんてなかった」と語っています。22歳で初めてキャンベルを妊娠した時、これからどのような未来が待っているのか、二人はまだ想像もできなかったでしょう。
時に、人生を予測することは難しいですが、確かにアレキサスとデイビッドは、人生にもたらされた数々の挑戦と喜びを共に乗り越えてきたのです。
ピルが効かない
もし、大家族になることを期待していなかったのなら、そもそもどのようにこんな大家族になったのか、疑問に思うかもしれません。その答えは、謎なんかではなく、医学的な話だと、アレキサスは説明します。
実は、「私はほとんどの避妊方法が効かない」とアレキサスは話します。100%の効果的な避妊方法は、もちろんないですが、避妊経口薬(ピル)を正しく服用しても、彼女は効果がないと話します。そうなのです。ごく稀に、避妊経口薬を使用しても全く影響を受けない人が、中にはいるのです。
もう手いっぱい
アレキサスとデイビッドは、汚れたオムツを換えたり、離乳食を作ったりすることには、もう満足したようです。キャメロンの誕生後、二人は子供達が人生の多くを埋めたと語ります。彼らは、女の子を待ち望んでいた訳では決してなかったと言いますが、キャメロンの誕生を考えると、彼ら夫婦は本当は必要としていたのだということがわかります。
アレキサスは、記者達に「今後は、もう絶対にないです!これ以上は、産みません!と前回も行ったのですが、今回こそは誓って"絶対”ないです。今の家族を本当に愛しています。」しかし、避妊方法がどれも効かない人にとっては、難しいことかもしれません。
この先、どうやって妊娠を防ぐか
どんなにキャメロンの妊娠が「計画されていなかった」とは言っても、女の子を妊娠した時は、「ショックだったが、嬉しかった」と話します。しかし、この先子供を増やすことはもうないと彼ら話します。アレキサスは、避妊に向けて対処するために、自身の不妊化を検討しています。
週に49回洗濯を行い、1日に7回も掃除機をかけなければいけないことを考えると、彼女自身が考慮するべきことであるのは、理解できます。子供が多いのは、嬉しいことも多いですが、その分苦労も絶えないのです。
軌道に乗せるまでは大変
サウンド・オブ・ミュージックのように、子供を育てるのは、決して簡単ではありません。(いっつも同じ服を着て、牧草地で歌を歌っている訳にはいかないのです。)11人の子供を全て、正しい軌道に乗せるには、親の協力体制が必須です。そして、まさにアレキサスとデイビッドは、その鏡です。
デイビッドは、毎朝午前5時半に仕事に出かけ、アレキサスは子供達が起きる前の早朝に、コーヒーを飲みます。もしあなたが、1人の子供を学校に送り出すのさえ、難しいと思っているのなら、彼女のことを想像してみてください。アレキサスは、子供の学校の送迎のほとんどを一人でやっています。
デイビッドは、病気と戦っていた
デイビッドは、6年前早期のパーキンソン病と診断されました。アレキサスは、彼の仕事には影響はなかったと話します。彼女は、自身のFacebookに「私は、パーキンソン病であるにも関わらず、彼のできること100%をしてくれる、最高の夫に恵まれているわ」と投稿しています。
デイビッドは、現在もこの病気の治療薬を服用しています。子供達のために、彼の全てを捧げる献身的な姿に称賛します。
どうやって夏休みは乗り切るのか?ヒント: Xbox と Wii
学校がある時は、家で時間を過ごす親にとって、束の間の休息の時間になります。しかし、この休息の時間は、決して完全に体を休めることではありません。子供達に邪魔されないで作業できる時間を確保することができるということです。それは、家事はもちろん、日常的に発生する作業などです。子供達の叫び声が聞こえないことが、唯一の救いです。
しかし、夏休みは別の話になります。デイビッドは、「夏休みは、持久力テストでもある」と話します。どんなにスーパーペアレンツな彼らでも、時には、ベビーシッターにお願いすることもあります。そしてXboxやWii は、彼らの育児の助けにもなると話します。
週末の旅行は難しい
子供が何人だとしても、家族全員で一緒に出かけられるように、調整するというのはとても大変です。誰かしらが必ずトイレに行きたくなるし、誰かが必ず家に必需品を忘れるし、家からどこか別の場所に移動する間の時間は、時に、嫌がる猫を獣医に連れて行くような感覚に陥ります。
ブレット一家は、週末旅行を実施するのに、非常に巧みな技を使用します。それには、7人乗りのワゴンと、5人乗りの車が必須です。子供達全員を移動させるには、車は2台必要なのです。
運転手は、一人だけ
2台の車があるにも関わらず、実はアレキサスは運転することはできません。 したがって、家族が週末旅行を実施するには、デイビッドが2台とも運転する必要があります。
時には、11人の子供を移動させるのに、2回往復するのが難しいため、デイビッドは、年上の兄たちのみを連れて行き、まだ幼い子供達は、アレキサスと一緒に家で過ごすこともあります。デイビッドは記者たちに、もう何年も家族全員の旅行はしていないことを語っています。
女の子を初めて育てるアレキサスは、Facebookのフォロワーに連絡をとった
アレキサスは、大家族として注目を集めていたため、スポットライトを浴びることに慣れていました。そして、他の母親たちから支援やアドバイスを得るために、Facebookというプラットホームを巧みに利用しました。そのアドバイスには、どんなものが含まれていたでしょうか?そう、女の子用のベビー服についてです。
彼女は、Facebook上で、「どこで女の子の服を買っていますか?全くアイディア分かりません。どんなアドバイスでも大歓迎です!」と投稿しました。そして、その質問に対し、多くの母親が有益な情報を提案する中、「男の子の服を買う場所と同じですが、女の子セクションに行ってください!」などという面白いコメントもありました。アレキサスは、冗談交じりに、「それは最もだわ!」と返信しました。